東京地方裁判所 昭和47年(刑わ)2327号 判決 1974年11月05日
主文
被告人小野俊一郎を懲役四月に、被告人高橋秀臣を懲役三月に処する。
この裁判確定の日から一年間いずれも右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人小野俊一郎は、東京都千代田区平河町二丁目一番地に本店をもつ株式会社行政通信社の編集長として、同社が発行する月刊誌「人と日本」の企画、編集、執筆などを担当しているものであり、被告人高橋秀臣は、同社の記者として、同誌の取材、執筆を担当しているものであるが、北海道四区選出の日本社会党所属の衆議院議員であり、昭和三七年二月から昭和四五年五月一五日まで登別町開拓農業協同組合(以下、開拓組合という。)の組合長、昭和三七年一一月以降登別町肉牛飼育生産組合(以下、肉牛組合という。)の組合長である甲野一郎に関する記事を同誌に掲載するにあたり、いずれも確実な資料、根拠がないのに、
第一 被告人小野は、昭和四六年九月一日付発行の同誌九月号に、「疑惑渦巻く甲野(社)議員の周辺」との見出しのもとに、
(一) 甲野一郎が昭和三七年一一月ころ肉牛組合を設立して組合長に就任し、肉牛飼育事業を行なうため開拓組合の組合員で貧農階級であったいわゆるD層階級の乙村二郎ら八名との間に、同人らが所有する開拓地の賃貸借契約を締結し、同人らを肉牛組合の組合員にした経緯に関し、「甲野氏は、この賃貸借契約締結について、かなり強引な手段を用いたらしい。説得しても応じない農家には、町で三百円で買った“三文判”で勝手に契約書を作ってしまったり、中には印鑑の用途をごまかして捺印させたものまである……と土地の人々はいう。」と、甲野があたかも私文書偽造などの犯罪に関与しているかのような虚偽の事実を、
(二) 開拓組合の組合員である丙川三郎が北海道相互銀行伊達支店に預金していた一八〇〇万円に関じ、「甲野氏をはじめとする一連の人々が丙川の財産をだましとった? 丙川が知らぬ間に千八百万円が全額消えていた。こうした横領事件? について、非難が甲野氏に集中している。」などと、甲野があたかも右預金を横領したかのような虚偽の事実をそれぞれ掲載したうえ、昭和四六年八月上旬ころから同年九月ころまでの間、同誌約二〇〇〇部を日本出版販売株式会社などを介して書店で販売したり、右丙川が知人に贈呈するなどして、東京都及び登別市などの読者に頒布し、
第二 被告人小野、同高橋は共謀のうえ、昭和四六年一〇月一日付発行の同誌一〇月号に、「開拓農民を食い物にした社会党代議士」との見出しのもとに、甲野社会党代議士の犯罪は、ほぼ確実であるとの確証を得たとして、
(一) 甲野が北海道議会監査委員であった当時の行動に関し、「一部には、監査委員の地位を振りかざして、各界各層の人間の不適正事項を摘発して、『一生甲野一郎に忠誠を誓うなら不問に附してやる』―というような恐喝めいたこともやっていたという噂もあるくらいだ。」との虚偽の事実を、
(二) 前記第一(一)記載のいわゆるD層階級者が肉牛組合を離脱し、甲野ら一族が同組合の実権を掌握している事実に関し、「甲野は、D層階級を救助する目的で肉牛組合を設立したのに、D層階級の人達を五万か十万の金を渡して追い出してしまった。」と、甲野があたかも少額の金員を与えて同人らの土地を不正に取得したかのような虚偽の事実を、
(三) 前記第一(二)記載の丙川三郎の預金に関し、「丙川は、甲野に依頼されて、千八百万円の預金のうち三百万円だけは、開拓農協振出の手形を落すため右預金からおろすことを了承したが、残りは丙川が知らない間にほとんどおろされている。」と、甲野があたかも右預金を着服横領したかのような虚偽の事実をそれぞれ掲載したうえ、同年九月上旬から同年一〇月ころまでの間、同誌約二二〇〇部を前同様の方法で東京都及び登別市などの読者に頒布し、
もって公然事実を摘示して、甲野一郎の名誉を毀損したものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(弁護人らの主張に対する判断)
弁護人及び被告人両名は、被告人両名の摘示にかかる事実は、本件証拠により真実であることが証明されたものであるから名誉毀損の罪は成立しない、かりにその証明が十分でないとしても、被告人両名がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照し相当の理由があるから名誉毀損の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないと主張する。
一 各摘示事実の真実性の有無について
1 判示第一(一)第二(二)の摘示事実について
証人甲野一郎は当公判廷において、いわゆるD層階級者の間の土地賃貸借契約は、同人らとの正当な話合いのもとに締結し、同人らからの右土地の買入れも、同人らの意思によって、正当な価額のもとになしたものである旨供述し、丁山四郎に対する当裁判所の尋問調書によれば、同人が昭和四三年八月に肉牛組合の専務に就任してから、右土地の賃貸借について、農地法上の賃借権設定の許可が受けられていなかったので、賃貸人であるいわゆるD層階級者の承諾のもとに、同人ら及び肉牛組合を申請者とする許可申請をして農業委員会の許可を受け、その後右各土地を同人らとの話合いのもとに肉牛組合として買入れた旨の供述があり、これらの事実は、≪証拠省略≫などを総合して十分裏付けられるから(但し、清川については、土地売買の事実はなく、現在右土地で酪農を営んでおり、星田ハナは他から土地を担保に金員を借りその後他に処分され、いずれも肉牛組合が買った事実はなく、雨野は、賃貸借の事実はない。)、前記甲野一郎が、三文判を用いたり、用途を偽って賃貸借契約を締結したり、五万か一〇万円の金員を渡してD層階級の人達を肉牛組合から追出したり(同人らは、同組合脱退の理由として健康上、あるいは後継者がいないためであると言っている。)した事実は認めがたいのであって、この点に関する記載内容は、被告人両名が虚偽の事実を摘示したものと認めざるを得ない。
2 判示第一(二)、第二(三)の摘示事実について
≪証拠省略≫を総合すると、丙川三郎は、同人所有の上鷲別所在の土地約三町歩を、農免道路代替地として登別町に一八一〇万円で売却し、右代金は北海道相互銀行伊達支店の同人の普通預金口座に、昭和四三年四月二三日付四〇〇万円、同月二六日付九〇〇万円及び同年五月三一日付五一〇万円が同町より各振込まれ、同年七月ころ、同人が一〇〇万円を必要としたためその預金を引出しに行ったところ、右銀行支店長赤石茂明から、右預金は開拓組合の雪山五郎によって同年四月二五日一〇〇万円、同月二七日八〇〇万円、同年六月三日二一〇万円が引出されている旨説明を受けたため、ただちに右雪山に説明を求めたところ、同人は「それについては、甲野と丙川の間で話がついていると思っていた。」「丙川の負債の方に入れている。」などと説明を受けたため、甲野にその説明を求めたところ、「私は知らない、雪山が勝手にやったことだ。」というだけで要領を得ず、丙川が、右預金のうちから引出しを承諾したのは、同年六月一九日付の三〇〇万円だけで、その余の金員については同人の関知しない間に引出された旨の供述がなされ、以上は右摘示事実にほぼ沿うものがあるが、他方、右各引出しの当時、北海道庁から開拓組合に出向して経理事務を担当していた雪山五郎(第一、二回)に対する当裁判所の尋問調書によると、開拓組合は、丙川に対して昭和四三年三月末日現在一五二三万四六〇六円の貸付金があり、同年四月ころは開拓組合も資金繰りに窮し、開拓組合参事の右雪山がこの点について右開拓組合長の甲野に相談したところ、同人から、同人と丙川との間で同人所有の前記土地の代金を前記貸付金に充てることに話ができているから右土地の売買について丙川を手伝ってやってくれといわれ、雪山は丙川とともに登別町役場に赴き同庁開発部長の中浜元三郎の部屋で、同人に対し、右土地代金を開拓組合の資金繰りに充てることになっているので、土地代金を、移転登記する前に出してもらいたい旨を要望し、同所で、右銀行に対する払戻請求書に丙川から印を押してもらい、これを右銀行支店長に預け、雪山又は丙川が前記北海道相互銀行伊達支店に連絡次第、開拓組合の右銀行に対する当座預金口座に振替えることについて雪山、丙川間で話合いがつき、それに基づき同年四月二五日付で一〇〇万円、同月二七日付で八〇〇万円、同年六月三日付で二一〇万円、同月一九日付で三〇〇万円を開拓組合の右口座に振替えて開拓組合が丙川に対して有する前記貸付金に充当した旨の供述があり、右銀行の伊達支店長である赤石茂明(第一、二回)に対する当裁判所の尋問調書によると同人は、右金員の振替えにあたり、電話で丙川に照会して同人の承諾を得ている旨の供述があり、前記丙川らの供述と相反する供述がなされている。ところが、甲野は、当公判廷において、右金員の振替に関し、「私は知らない。雪山が勝手にやったことだ。」と供述しているが、当時開拓組合長であった甲野が、開拓組合の資金状況に関心を示さないはずがなく、雪山も開拓組合の資金が欠乏していたと認められる当時において、甲野にこの点を相談しないということは通常考えられず、従ってこの点に関する右甲野の供述は措信できない。
そこで問題は右預金の引出しについて、丙川が承諾していたかどうかということであり、これは雪山及び赤石の前記各供述の信用性いかんにかかる。
この点について、当裁判所は、以下の理由により、右各供述をまったく信用性なしとして排斥することはできない。
(イ) 前掲証拠によると、丙川の開拓組合に対する負債は、一五二三万四六〇六円であり、当時開拓組合は資金繰りに困っていたことは丙川、雪山ともに認めるところであり、丙川にとって一八一〇万円はかなりまとまった金であるから、右のような状況にある開拓組合から丙川に対して同人の右負債につき右土地代金のうちからの返済の話がでても何ら不思議なことではないと考えられる。(なお、丙川は、右の借入金は、丙川が農林中央金庫から借りる四七〇〇万円のうちから弁済する旨の話が右組合との間についていた旨供述するが、同人の供述によれば、右融資は、昭和四二年一二月ころなされる予定が遅れて、翌四三年の一二月になされているのであるから、同年四月から同年一二月までの間の資金として返済の話が出ても決しておかしくない。)
(ロ) 丙川は、右一八一〇万円が預金されている普通預金口座の預金通帳は、右銀行に預け放しにしており、右預金通帳には、前記登別町からの振込み金額が記入されていないのみならず、同人の承諾のもとになされた三〇〇万円、同人自身が引出した七三万円についても記入されていない。このことは右雪山の、「右土地代金については、右登別町役場に対し直接右銀行の開拓組合の当座預金口座に振込んで貰うように交渉したが、直接はできないというので、丙川の普通預金口座に振込んで、開拓組合の必要なだけ右口座から開拓組合口座に振替えてもらうようにした」という供述に照し合せて考えてみると、当初より、丙川と開拓組合との間で丙川の前記債務に充当する旨の話し合いができていた結果、一々、右預金通帳への記入はしなかったのではないか、という推測も成り立ち得る。
(ハ) 丙川は開拓組合の理事であり、従って、その資金繰りについて関心をもつのが当然であり、本件土地代金が開拓組合へ入金された場合、その出金先を承知していないことにも疑問があり、また、一八一〇万円がなくなるまで、その預金引出しに気がつかなかった、ということも通常の状態ではない、という疑問が残る。
(ニ) 丙川に対する当裁判所の尋問調書によると、同人は雪山から「上鷲別の土地が売れて金が入ったら返してくれ。」と言われ、前記三〇〇万円については承諾したが他は承諾していない、と供述しているのであるが、昭和四三年四月二五日一〇〇万円、同月二七日八〇〇万円、同年六月三日二一〇万円の分について雪山が丙川に無断で引出したということになると、その後の同月一九日の三〇〇万円についてのみ、どうして突如として丙川の同意を求めたのか理解し難いものがある。
(ホ) 赤石の前記供述中、丙川の一八一〇万円の預金を右農協の当座預金口座に振替えるときは、多額の金であるので右銀行のカウンター前の電話で丙川の指示を仰いだ旨の部分は、かなりの具体性をもつ供述であってにわかに排斥できない。
以上の点を考慮すれば、丙川夫妻の前記供述は全く合理性がないというわけではないが、全面的に信を置きうるに至らず、雪山及び明石の供述も一応首肯しうるのであって、結局右摘示事実が真実であるとの確信を得ることはできない。
3 判示第二(一)の摘示事実について
平井健治に対する当裁判所の尋問調書中には、同人は北海道庁農地開拓部総務課長であった昭和四六年八月五日ころ、行政通信社本社におもむき、被告人小野に面会を求め、同人に対して、「甲野は道庁の事務の監査をしていたので道庁の役員はおそろしがっていた。」、「恐喝めいたことをしているという噂があるくらいだ。」などと右摘示事実に沿う供述部分があるが、真実の証明の対象は、右のよう風評の存在にあるのではなく、右風評の内容である具体的事実が真実であるかどうかにあるところ(最決昭四三年一月一八日刑集二二巻一号七頁参照。)右供述部分は、二つの例を道庁職員から伝え聞いたというのであって、平井自身の体験した事実ではないから右摘示事実の証拠にはなりえず他にこれを認めるに足りる適確な証拠もないから、結局右摘示事実についても真実の証明がないといわざるを得ない。
4 弁護人は、摘示事実について、主要かつ大半の部分が真実に合致しておれば、付随的な小部分が事実と相違していてもこれは容認され、刑法二三〇条の二第三項の「真実なることの証明」は遂げられたものというべきであり、本件「人と日本」九月号、一〇月号の各記事を総体的にみた場合、本件起訴事実以外の記事はすべて真実であるから、かりに本件起訴事実の証明に多少問題を残すとしても、真実の証明がなされたものというべきであると主張する。たしかに一般論としては、枝葉末節の事項について虚偽があっても、主要かつ本質的な部分につき真実性が証明されれば真実の証明があったものとしなければならない。そして、何が主要かつ本質的であるか否かは、虚偽である摘示事実をとり出してみて、その事実自体が特定の者の名誉を毀損するに足りる事項であるか否かによるべきものであるところ、判示各摘示事実は、いずれも枝葉末節の事項ではなく、甲野の名誉を毀損するに十分な事項であると認められるから弁護人の右主張は採用しない。
5 なお弁護人は、真実性の証明は、厳格な証明による必要はなく、証明の程度もいわゆる証拠の優越の程度で足り、有罪認定に必要な程度の高度の証明は必要ないものである、と主張する。
しかし、真実性の証明は、裁判所が、被害者の名誉を低下させる犯罪行為又は非行などの存否を判断し、真実であるときは違法性がなく処罰されない、ということであるが、右は違法阻却事由であるからその存否は厳格な証明の対象になるものであって、このことは、違法阻却事由の不存在の立証責任が検察官にあると、その存在が被告人にあるとで異なるものではないとみるべきであり、また、裁判所が、真相究明の努力をしたにもかかわらず合理的疑いを容れない程度の心証を得ることができず、右事実を認めることのできる証拠が、これに反する証拠よりより多く信用できるという意味での証拠の優越の程度で右事実が証明されたものとして、摘示者の罪責を免れさせるべきものと解することは、(イ)犯罪に関するときは、刑事事件であれば犯罪者と認めるだけの証拠のない被害者を、名誉毀損被告事件の被害者として証拠の優越の程度で裁判所が真犯人である旨を判示しこれを社会から葬り去る不当な結果を招来することを法律上許容することになって不当であるのみならず(東高判昭和四六年二月二〇日高集二四巻一号九七頁参照。)、(ロ)犯罪以外の非行に関しても、刑事裁判手続でその事実の存在が認定された場合の被害者に対しての社会の受取り方、被害者に与える苦痛は民事裁判(たとえば損害賠償請求事件として)で右事実を認定された場合よりも深刻かつ重大であるから、自由な証明及び証拠の優越で足りるとする弁護人の見解には賛成できない。たしかに、強制的捜査権を有しない被告人に合理的疑いを容れない程度の立証責任を負わせると、正当な言論、批判の自由を制限することにもなりかねない、という批判は十分に尊重されるべきであるが、これは言論、批判の自由の確保と被害者の名誉の保護との調和点をどこに見出すかの問題で、当裁判所は証拠の優越の程度の証明で足りるとすることで調和を求める見解は、被害者の名誉の保護に欠けるうらみがあり賛成できないのであって、この問題は、真実性についての誤信の問題として解決すべきであると考える。すなわち、後記のように、真実性の証明がなくても、被告人が真実であると確信し、それが確実な資料、根拠に照して相当であるときは、名誉毀損の故意がなく、処罰されないが、右の確実な資料、根拠というのは、誤信の原因が社会一般人の日常生活における健全な常識に照してみて、真実であると信ずるのが無理もないと認められる程度の資料、根拠をいうものであって、検察官が公訴を提起維持するために護得するであろう資料、根拠を基準とするものではない、と解すべきであるから、摘示者が、右の程度の資料、根拠を基にして真実と誤信したのであれば結局、真実の証明がなくても処罰されないことになり、従って、被害者を犯罪者又は非行者と認定することもなく、しかも摘示者も処罰の脅威から解放できることになり、このように解することによって始めて妥当な調和が図られるものと考えるのである。
二 各摘示事実の真実性に関する誤信
被告人両名が、判示各摘示事実を真実であると確信していたことは、被告人両名の当公判廷における供述によって認められるところであるが、前記のように、いずれの摘示事実も真実の証明がなかったことに帰するから、被告人両名の確信は誤信に基づくものといわざるを得ないところ、被告人両名が右各摘示事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて確実な資料、根拠に照し相当の理由がある場合は名誉毀損の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないから、以下この点について判断する。
1 判示第一の各摘示事実について
弁護人は、九月号に関する記事は、「被告人小野がもっぱら丙川から取材したものであるが、同人のぼくとつな話振りや、長きにわたって各方面に訴え続けたひたむきな態度をみて、同人が何かためにするところがあって甲野を中傷しているのではなく、真実その非行によって苦しみを受けている素朴な開拓民として訴えているとの印象をもち丙川の話を信用したのであるから相当な理由がある。」と主張する。
被告人小野の当公判廷における供述、同人の検察官に対する各供述調書によれば、同人は、昭和四六年七月中旬ころ丙川から行政通信社本社において右摘示事実を含む甲野にまつわる疑惑、非行についての話を二日間、八、九時間にわたって聴取したこと、同人の話を裏付けるものとして同人から現地の新聞の切抜き、枝肉精算書(肉牛組合の牛の売却に関するもの。)の提出を受けたこと、北海道の弁護士土井勝三郎へ電話して同人が甲野を右摘示事実以外の事実で二件告訴していることを聴取したこと、警察庁刑事課長に甲野に関する質問をしたが回答を得られなかったこと、北海道新聞の記者に電話で甲野の評判を聞いたところ、抽象的な話ではあったが評判はよくないとの印象を受けたこと、丙川の社会党成田委員長に対する訴えについて、同委員長に面会を求めたが、甲野個人の問題であって、社会党とは関係がないとして断られたこと、そのころ甲野本人の言分を聴取するため努力したがついに会えなかったことの各事実が認められる。そして被告人小野は、丙川の素朴で真しな態度に、以上のような事情を併せ考えた結果真実だと確信したというのであるが、右摘示事実のうち第一(一)のD層階級者に関しては、丙川は右被告人に対して、「D層階級の中にそのような証言をしてくれる人がいる」と語ったのであって、右伝聞の内容が真実であることの証拠はどこにもなく、実際にD層階級者に面会することもしていないのであり、第一(二)の丙川の預金一八一〇万円の引出しに関しても、ただ同人の話を信用しただけで裏付のための取材がなされていないのであり、前記のような甲野に関する調査の結果得られた諸事情も右各摘示事実とは直接関係のないものであって、これに関する丙川の話を裏付ける証拠になり得ない。従って、被告人小野の右摘示事実についての誤信は確実な資料、根拠に基づくということはできない。
2 判示第二の各摘示事実について
(1) 被告人両名の取材状況
≪証拠省略≫を総合すると、行政通信社では、甲野に関する特集記事について昭和四六年七月二五日ころ企画会議を開き、被告人小野は同高橋に対して北海道の現地に行って調査するように命じ、同人は同年八月二日現地におもむき、同月三日には丙川三郎夫妻の外、開拓農協組合長である永森末喜、同監事である江口晴咲、同理事である清川芳太郎、同参事である佐藤秀雄、登別市議会議員である三浦守治と、同月四日には室蘭警察署の長谷川課長、弁護士の土井勝三郎及び北海道議会議員の高橋辰夫と、同月五日には北海道相互銀行藻岩支店長(昭和四二年四月一日から同四五年三月まで同銀行伊達支店長)の赤石茂明とそれぞれ面接取材し、甲野に関する種々の事実についての取材活動をなし、同日取材を終えて帰京し、その後資料として甲野に関する告訴状、登別町開拓農業協同組合に関する特別委員会結果報告書、抵当権設定金銭消費貸借証書、念書、不動産競売手続開始決定の各写及び登別町開拓農業組合の第二三回通常総会議案を丙川から送付を受け、被告人高橋は以上をもとにして原稿をまとめ、同小野は右原稿及び同高橋からの取材状況の報告、右各資料を検討して、右摘示事実を含む記事にまとめたことが認められる。
(2) 判示第二(一)の摘示事実について
弁護人は、「被告人両名は、被告人小野が取材した相手の平井健治は、道庁開拓部総務課長の地位にあった程のもので、このような人物が根も葉もない中傷をするなどとは常識的には考えられないことであり、かつこれと被告人高橋が取材した高橋辰雄、三浦守治の甲野についての人物評を併せ考慮した結果真実であると確信したのであるから右摘示事実が真実であると信ずるにつき相当な理由がある」と主張する。
しかし、右平井の話は、前記のように、二人の道庁職員から右摘示事実のようなことを聞いたということで、同人の直接経験するところではなく、被告人両名は右摘示事実にあるような言辞を受けた本人に直接確かめるなどの裏付け調査をすることなく、右平井の漠然と語った伝聞事実に、高橋、三浦の甲野についての評価(≪証拠省略≫によれば、三浦は、甲野は大変悪党で、皆これを知っているが後が恐ろしいから何もいえない旨、高橋は、甲野は北海道一の悪党である旨語ったということであるが、仮に右事実が認められたとしても、これは右摘示事実の適切な状況証拠とはなりえない。)を併せ考慮して真実だと確信したのであって何ら真実性を担保するに足りる資料、根拠はなく、その誤信につき相当の理由があるとはとうていいえない。
(3) 判示第二(三)の摘示事実について
弁護人は、「被告人両名は、被告人高橋が現地の北海道に行って丙川の訴えを裏付け、明確化するために、前記のように各方面の人々に会って事情を聴取し、各種の資料を取得したのであるが、これは丙川の話を裏付けるものが殆んどであったためいよいよその真実性について信用を強めたのであるから、いわゆるD層階級者から取材しなかったとしても、右摘示事実が真実であると信ずるにつき相当な理由がある」と主張する。
ところで被告人両名は、丙川の話の外に、これを裏付けるものとして、前記取材によって得られた、(イ)永森の、「甲野は営農意欲のない、いわゆるD層階級者を集め、同人らの土地の提供を受けて肉牛組合を設立したが、同人らは別の職業に就いてしまってそこにはいなくなっている」旨(同人に対する当裁判所の尋問調書)、(ロ)以前いわゆるD層階級者であった清川の、「D層階級者が追出されたということを聞いたことがある」旨(同人に対する当裁判所の尋問調書及び被告人高橋の当公判廷における供述)の話及び、甲野の右摘示事実以外の不行跡、悪評について取材の際に聴取したこと、告訴状などの資料を総合して、右摘示事実が真実だと確信したと認められる。(右以外の人から右摘示事実について聴取したことは証拠上認め難い。)ところで、真実の究明に際しては、直接の当事者、ことにいわゆるD層階級者からの事情の聴取は、他に十分な裏付をもった確実な資料が存在するような特別の事情がある場合は格別、必要不可欠のものというべきである(とくに摘示事実が犯罪行為に関するものであるときはなおさらである。)が、被告人両名が依拠した資料をみると、前記丙川、永森、清川(同人でさえ、同人自身は追出されたとはいっていないのみならず、他のD層階級者から確認した方がよいとさえいっている。同人の前記尋問調書)の各証言はいずれも伝聞に基づくもので確実なものとはいえないのみならず、右各証言を検討すると、同人らがはたして、いわゆるD層階級者を甲野が「五万か一〇万の金で」肉牛組合から追出したという話をしたのか疑問であり、前記永森自身も「甲野がD層階級者らを追出したといったおぼえはない。」旨供述しており、被告人両名が、D層階級に関する事項につき、右永森、清川らから聴取したことを正確に記載したかどうかさえ疑わしくなるのであって、これらの事情に、甲野についての右摘示事実以外の非行、悪評を併せ考慮したとしても、これが右摘示事実を推認するに足る適切な状況証拠になりえないことは勿論であるから、結局、被告人両名の誤信は、相当の理由があるとはいえない。
(4) 判示第二(三)の摘示事実について
弁護人は、右摘示事実については真実の証明があったと主張するのみで、誤信の点については明確に主張していないが、右真実の証明がないときは当然この点も主張する趣旨とみられるのでこの点について判断する。
被告人両名は、丙川三郎、同ハルの、開拓組合に振替えられた一、八一〇万円のうち、昭和四三年六月一九日付三〇〇万円については同組合に振替えることに承諾したが、他は承諾したおぼえはない旨の一貫した証言を裏付けるために、当時の、北海道相互銀行伊達支店長である赤石茂明に対して、丙川の承諾の有無について取材し、実際に開拓農協の事務を担当していた佐藤秀雄にも面会して、丙川、甲野間に了解があったのかどうかの取材活動をしており、一応、資料集収のための努力が払われているといえる。
しかし、被告人高橋の、雪山に対して、甲野にまつわる問題について、法的に問題になるようなことがあると思うか、との質問に対し、右雪山は、「問題になると思う。それは法廷で話したい。」旨及び右摘示事実(判示第二の(三))については同人の前記尋問調書記載のように、丙川の承諾を得ている旨を話したこと(被告人高橋の前記供述調書)が認められ、また赤石は、被告人高橋に対し、本件振替金問題について、そんなばかなことがあるはずがない。銀行がそんなことに巻込まれるのは困る。丙川が言ったことは心外だ。」(同人の前記尋問調書、被告人の前記供述調書)との趣旨の話をしているのであって、いずれも丙川の話を裏付けることにはならず、かつ、雪山、赤石の話に前記のように格別不合理な点はみられないのであるから、丙川の話を一方的に真実だと確信することは、前記の取材により、各方面の人から甲野に関する他の非行、悪評を聴取し、かつ、これが真実であるとしてもこれは丙川の話を裏付けるに足る適切な証拠になりえないことは既に述べたとおりであって、やはり軽卒のそしりを免れず、他にこれを信ずるにつき相当な資料、根拠をみい出しえない。
以上のとおり、判示各摘示事実について、これを真実であると確信するに足る確実な資料根拠は存在しないといわざるをえないから、弁護人の前記各主張はいずれも採用し得ない。
(法令の適用)
被告人小野の判示第一、第二の各所為は包括して刑法二三〇条一項(判示第二の所為についてはさらに同法六〇条)、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人高橋の判示第二の所為は、刑法六〇条、二三〇条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するので、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人小野を懲役四月に、同高橋を懲役三月に処し、情状により刑法二五条一項を適用して、いずれもこの裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により、被告人両名に全部連帯して負担させる。
(量刑の理由)
被告人両名の本件各犯行は、判示のとおり、その事実を確実な資料、根拠がないのに、甲野一郎が私文書偽造、横領の各犯罪及び脅迫的言動をなしたかのような虚偽の記事を「人と日本」九月号、一〇月号に連続して掲載し、これを各号約二〇〇〇部を全国の読者に頒布し、そのうち九月号七〇〇部、一〇月号一四〇〇部を丙川を通じて開拓組合員をはじめ組合関係者などに頒布しているのであって、その結果、当時日本社会党所属の代議士であった甲野の政治家としての公的な立場に重大な打撃を与えたのみならず、同人に対し多大の精神的苦痛を与えたものであって、その行為自体、強く非難されなければならない。ことに被告人小野が掲載した九月号の記事は、話を持ってきた丙川の話を一方的に信用し、他にみるべき資料収集をする余裕もないまま早急に掲載したものであって、言論人としてははなはだ軽卒であるし、被告人両名の一〇月号の記事についても、被告人高橋の取材活動をみると判示摘示事実についての資料収集も不十分、不徹底で、丙川の素朴さのゆえに、その話を安易に信用してなされたものといわざるを得ない。
しかし、他方、被告人両名は、北海道の一開拓民である丙川が訴えてきた態度に真しさを認め、私利を離れての公憤を感じ社会に報道するに至った心情は、当裁判所としても十分評価するものである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 樋口和博)